青木琢磨さん

1974年2月24日 群馬県子持村(現渋川市)出身のプロレーサー

兄はスズキ開発ライダーの青木信篤氏、弟はオートレース選手の青木治親氏。かつて3人はロードレースライダーとして大活躍。

国内外を問わず「青木3兄弟」はその名を轟かせた。

1997年には4気筒優勢の中、2気筒の2ストロークマシンNSR500Vを駆り、表彰台を3度獲得、この年の年間ランキング5位へと駆け上った。

しかし翌年1998年、Hondaのテストコースにおいて走行中にハイサイドを起こし半身不随となるも、99年には車いすでホンダ・レーシングの助監督に就任。さらに、ンタルバイクで競う「レン耐」をプロデュースするなど、モータースポーツの普及活動を積極的に行っている。

その後、車いす生活となった後も積極的にレース活動にトライを重ね、障がい者用運転補助装置を取り付けたラリーマシン(4輪)で実績を積み、2009年にはダカール・ラリーに初参戦。

さらに紆余曲折ののち、日本自動車連盟(JAF)の協議ライセンスを取得してサーキットに復帰すると、レーサーの土屋武士と共にスーパー耐久シリーズST4クラスに参戦を果たした。

この後も精力的にレースに参戦する中、2013年には国際自動車連盟 (FIA) から国際協議ライセンスが支給され、フランスのル・マン出場チームのレーシングドライバーとして活躍中。

そして、2019年には音音の治親氏が中心となり、障がいを持ったライダーをサポートする「サイドスタンドプロジェクト」立ち上げ、この年の鈴鹿8時間耐久ロードレースのエキジビション、「Takuma Rides  Again」という企画で、身不随でもライディングができるよう改造が施されたCBR1000RRを駆り、21年ぶりとなるライディングを披露。

同年ツインリンク茂木で行われた日本グランプリでは、青木3兄弟がそろってデモランを披露した。

青木琢磨さんはレースや講演活動を通して、障がいを持つ人々に、「夢をあきらめないこと・挑戦をし続けること」の素晴らしさを伝え続けている。