「ライダー」×「地域」×「おもてなし」・「文化スポーツ」
最初に自己紹介を兼ねて各パネリストがSSTRとのかかわりや、ご自身の活動についてお話しされました。
大倉 正之助さん ~歴史と文化とライダーと~
最初にお話をされたのは、先ほど素晴らしい鼓で会場を打ち開いてくださった大倉正之助さん。
歴史を重んじる大倉さんならではの興味深いイベントのお話を聞くことができました。
「SSTRは日の出から日の入りという日本の地形を活かしながら、和の心を発信する素晴らしいバイクイベントだと思います。
私が1995年に開催したツーリングイベントでは、日本の素晴らしさを共有しようという目的で様々な国々のライダーを招き、世界の平和や将来のことを語り合いました。
そして、今年の8月19日(バイクの日)にも、箱根神社でオートバイ文化の奉祝を祈願するというお祭りを行いました。
箱根神社は頼朝の時代から交通の要所。
当時から交通の安全を祈願する文化のあったところです。
当日は片山敬済さん北川圭一さんといったレジェンドの方々と共に、50名を超す一般ライダーも参加して、バイク文化の醸成を祈念する弥栄を行いました。
神社にはよく、「神馬」といって馬が奉納されることがありますが、バイクは「機械馬」であるとして、今回は神主さんに相談して、バイク神馬としてお祓いをしていただき、神前に飾らせていただきました。
こうして古式にのっとった形で現代のオートバイを祭り、オートバイ文化の創成をする活動を今年から始めたので、これを今後も続けようと思っています。」
寺田 陽子さん ~SSTRから広がる縁(えにし)~
席順により、次にお話をされたのは、SSTRライダーで、フラダンス教室Hula cocoの代表の寺田陽子さん。
寺田さんからは、ご自身がSSTRの中で体験されたエピソードや、羽咋市の方々との交流、そしてSSTRと地域との結びつきについてお話されました。
私は2017年から6回出場させていただいていますが、毎回が失敗という名の冒険、とにかくまっすぐ千里浜にこれたことがない「やらかしライダー」なのですが、
2回目の出場の時、千里浜近くで宿が無くさまよっていた時、「あ、こんなところに宿がある」と思い、「すみません、ここ、泊まれますか?」と訪ねたのが、偶然にもSSTR応援団で実行委員長をされている冨山一夫さんのお宅だったんです。
それ以降のSSTRでは参加する仲間を集めて冨山さんのお宅にお邪魔することになり、お礼にみんなでフラダンスを披露したりすることから始まって、コロナでマスクが不足した時には冨山さんのお宅に布を送って、それをおばちゃんたちが縫って医療機関やドイツの医療機関にも送ったり、その後もこちらの朝市があるというので、冨山さんと相談しながら、仲間と一緒に私の地元(神奈川)のものを出品していただいて、その収益を千里浜再生プロジェクトに寄付をしたり。
SSTRで旅をしたことからご縁が生まれて、今もそういった活動を続けています。
羽咋市 岸 博一 市長 ~観光で興す街の力~
岸 博一市長からは、SSTRのゴールの地である羽咋市がこれまでに主催されたイベントなどについてご紹介されました。
私は令和2年10月から市長に就任してちょうど2年になります。
それまで私は羽咋市の職員として勤めていて、平成元年には観光課に努めていました。
ここではこれまで企画したイベントなどについてお話をしていきます。
石川県ではそれまで冬のイベントが無かったので、職員たちで知恵を出し合いながら冬のイベントを企画することになり、平成2年2月に極寒の中で地元の寒ブナを食べるお祭り「寒ブナフェスタ」を企画したところ、たくさんの人を集め、ご好評をいただきました。
また、皆さんはよく「UFOのまち、羽咋」という言葉を耳にされることがあると思いますが、これは古文書の中で空に「火の玉が飛んでいた」、「鍋の様なものが飛んでいた」あるいは仏具の「鐃鈸(にょうはち)が飛んでいた」といった記述があり、これにかこつけた町おこしを行おうということで、地方再生ブームの中、月の石の展示などを行ったのが始まりです。
当時、私も若かったからできなのだと思いますが、「UFOと言えば日清のUFO焼きそばだよね」という話しになり、実際に東京新宿の日清本社に飛び込んで協賛を依頼。
そこで製作した企画書が国にも通り、総工費55億円をかけて、本物のロケットや宇宙船を展示する展示施設「コスモアイル羽咋」を会館させる運びになりました。
また平成6年には、「なぎさドライブウェイを使って砂祭りをしよう」ということで、鹿児島県の旧加世田市(現・南さつま市)の吹上浜で行われている砂像のお祭りを参考に、今よりも広かった千里浜を利用してたくさんの砂像をつくって展示しました。
ところが4回目の時に大きな波にすべてさらわれてしまい、当時の損害額が約5千万円になったということで、以降は細々と行うことになって今に至ります。
風間さんとの出会いは令和2年、市の受付業務を通じて知り合うことができ、昨年からは羽咋市おもてなし実行委員会を立ち上げ、行政と地元の方々と一緒にSSTRを応援しているところですが、近年ではお隣の宝達志水町も一生懸命にSSTR応援事業をされていますので、SSTRは羽咋千里浜だけでなく今では能登全体のイベントになったと認識しています。
原田 栄さん ~住民と行政の一体でライダーをおもてなし~
毎年「おかえりぃ!」と元気にライダーの皆さんを迎えてくださる羽咋のおばちゃんたち。
原田さんは千里浜町婦人会で、第一回のSSTRからずっと私たちを応援し続けてこられたSSTRサポーターです。
今回は地元としてSSTRをどのように受け入れることになったのか、貴重なお話を伺うことができました。
私は千里浜に住んで50年。
私の家は千里浜から歩いて50歩のところにあります。
皆さんは砂像をご覧になったと思いますが、この砂像をつくる砂像協会の会長が、私のダーリン(ご主人)です!
SSTRでは毎年ライダーの皆さんを婦人会の皆さんと一緒に「おかえりぃー!」「お疲れさぁ~ん」「ごくろうさぁ~ん!」と手を振っています。
昨日も声を張り上げて、「おかえりぃ!」と言っていたもので、今日は少々かすれてしまっていますが、本当なもっとイイ声なんですよ。(笑)
そして、SSTRの皆さんなら、ご存じだと思いますが、ゴールではいつも貝汁を振舞っています。
今はこの貝汁が、私とSSTRとのかかわりです。
また、ゴールを抜けて里山海道を潜り抜けると、そこに花壇があるのですが、これは元々は雑草だらけの殺風景なところでした。
そこで、遠くからやってくれたライダーさんたちの心が少しでも和むようにと、草を刈ったり木を切ったり、街の人にも手伝ってもらって、今では多くの方々に歓んでもらっています。
そんな活動をしているわけですが、そういうきっかけになったお2人の方がいらっしゃいますのでご紹介します。
まずは冨山一夫さん。
最初のとっかかりは、役所の方から「おもてなしをする」と言われて、じゃぁどうしようということになった時に、「貝汁をやろう」という話になったんです。
でも、百何十人も見えるというのに、『鍋もなければ何もないという状況でどうしよう?』
となったので、冨山さんに相談したところ、「じゃぁ鍋もガスも用意するよ」ということになって、それで今があるんです。
そしてお2人目は川口哲治さん、この方が役所に勤めておいでる方で、初回からSSTRに関わっている方です。
千里浜でいつも青いシャツを着てメガホンをもって「おかえりぃー!」っていつも言ってるの見たことないですか?
この方がしょっぱなです。昨日もいましたよ。
川口さんは60歳になったそうで、60歳でバイクの免許を取ったんですよ。
「みんなみたいに優秀な感じで乗れるかな」って言ってました。
そんな2人がいて10年間お迎えできていて、ライダーの方々が帰って見えるのを楽しみにしています。
この方がいろいろと私たち住民と行政の橋渡しをしてくださってくれていることで、毎年皆さんが千里浜に来るのを楽しみにしながら、おもてなしすることができています。
ファシリテーターの池田先生より、
「行政は行政、自治会は自治会というところが多い中、羽咋市と自治会は本当に良く連携をしていることは特筆的なこと。
こうした連携があってSSTRが成り立っているということを、皆さんにはぜひ理解をしてほしい。」
と補足されました。
長谷川 明子さん ~石川の光を世界へ~
長谷川さんはPREMIUM SSTRのパーティ会場「あえの風」を傘下に持つ和倉温泉・加賀屋の中女将さん。
今回は「おもてなし」の観点から、SSTRについてお話くださいました。
SSTR10周年、本当におめでとうございます。
また、6月19日の地震には事務局の皆様からのお見舞いのコメントを頂戴しまして、本当にありがとうございました。
昨夜は私たちの加賀屋グループあえの風にお越しいただきましてありがとうございました。
たくさんのお客様をお迎えできましたことがとても嬉しく思いましたのと、なにより素晴らしい雰囲気に包まれたパーティーで、私もお客様をお迎えしながらそのことに癒されるという、素晴らしい体験をさせていただきました。
私たち加賀屋グループは今年で創業116周年を迎えます。
SSTRとは、2021年6月に加賀屋グループが千里浜レストハウスを譲渡いただき、地元でもパワフルに活動されている能登風土様の運営のもと、風間深志さまと契約を結び、SSTRカフェが実現したことからご縁をいただきました。
風間先生がSSTRを始めるきっかけになったのは(パリ・ダカールラリーでの)セネガルの海岸でのビクトリーランであったそうですが、私たちは2021年に世界農業遺産国際会議を当館で開催していただいたとき、セネガルの駐日大使にお越しいただきましたことを思い出し、素晴らしい繋がりがあること、そしてこのつながりがどんどん広がると良いなぁと思い、ワクワクしました。
石川県には、世界農業遺産である里山里海の千枚田と、ライダーの聖地千里浜があります。
SSTRと石川県が、国際的な交流強化の懸け橋になり、私たちがその一助を担えることを光栄に思います。
平 八郎さん ~スポーツと地域の活性化~
SSTR10周年、おめでとうございます。
「これから先のSSTRを考える」ということで、私が呼ばれたのであろうと思います。
皆さんは『スポーツコミッション』という言葉をご存知でしょうか?
これは、簡単に言うと、「スポーツと地域資源を掛け合わせた町づくりと地域活性化を行う推進役」のことで、日本全国に177のスポーツコミッションがございます。
SSTRはまさに、千里浜という地域資源とツーリングというものを掛け合わせて、地域を活性させてきた素晴らしいイベントだと思います。
私はかつて、金沢の駅前にございますANAグランプラザホテルの総支配人を務めていました。
東京生まれ東京育ちですが、3回の転勤を経て当地ご縁がありそのまま居ついてしまった人間です。
そういったことから今回は、スポーツコミッション代表という立場と、観光業に携わっていたという視点からお話をさせていただこうと思います。
スポーツコミッションとして私は今、スポーツの大会を金沢市内に誘致して、そこに地元の文化というものとコラボレーションさせながら観光に結びつけるということをしています。
例えば、加賀のお茶などの名産品や、獅子舞や梯子のぼりといった伝統芸能などの文化的なものをスポーツ大会の中で演出をするということをしていて、県外から来られたお客様に地元のことを知っていただき、リピーターになっていただくための取り組みをしています。
具体的には、バドミントンの大会で、加賀八幡の起き上がりこぼしの絵付けをしていただいたり、ソフトボールの大会で加賀友禅の型染めを体験していただいたり、テニスの大会で、水引でできたトロフィーを差し上げたり、さらには軟式野球大会で金箔の軟式野球のボールを差し上げるということもしています。
様々なスポーツがある中、ツーリングラリーというのもスポーツであると考えます。
やはり長距離の運転はなかなか大変な運動、ライダーの皆さんはグッドライダーでありアスリートだと思っています。
石川県には文化活動をされている様々な方々がおられます。
また工芸という面でも、先にお見せしたように数多くの種類の工芸体験ができるところがあります。
石川県はエリアによって全く風景が違いますし、それぞれの良さがございます。
ですので、文化とスポーツとを組み合わせた「その地域らしさ」を創っていくという活動をしているのが私たちです。
是非皆さんには、ゴールから先、能登の先端まで遊びに行っていただき、深みのある愉しみをご体験いただきたいと思います。
そういったわけで、今日はどうぞよろしくお願いいたします。
風間 深志 ~SSTRの中身を語ろう~
皆さん、本来なら旅を続けたいであろうところ、わざわざこのフォーラムに参加していただいて、本当にありがとうございます。
今日はSSTRの10周年を契機に、ひとつその中身について語ろうと思います。
これは(SSTRとは)いったいどういったことでやっているのか、そしてこれが地域とどう関わり合っているのかを考えると、SSTRの発想に帰着することになるわけです。
僕は30歳までバイク雑誌の編集に携わっていました。
その時代は今よりもはるかにバイクが注目されている時代で、本もよく売れました。
当時の編集方針として、バイクのスポーツ性を前面に出していくことにしていたのですが、いわゆる3ない運動が全国化するなど、社会的にバイクを危険視する風潮も高まり、バイクに対する風当たりが強くなってきた時代です。
なので、僕はそういった先入観にクサビを打ちたいと思ったんですね。
僕はバイクで冒険をしていて、そこに夢やロマンを見出していたわけですが、バイクはそれまで競争の文化に育まれてきたおかげで、「速い」「上手い」ということだけが乗り手のステータスとしてもてはやされていました。
そうではなくて、バイクはそのハンドルを握る様々な乗り手の個性、つまり多様性を表現するものとしてバイクを見せていきたいと思ったのです。
では『実際にどうしようか?』と思っていた時に思い浮かんだのが、当時参加したモンベル社が主催する千里浜での「ツアー&キャリー」というカヌーイベント。
この時の千里浜の風景が頭に焼き付いていたんです。
また、レースに出場できる特別な人を対象とするのではなく、その辺にいる一般ライダー達に火をつけたいと考えました。
その辺にいるライダー達が、誇りをもって、尊厳をもって、ステータスとして乗れるオートバイにならなくてはならない。
ある意味ではただの旅人なわけですが、ツーリングライダーを主役にするイベントにしたいと考えた時、その時にあの千里浜の風景が思い出され、そこをこの冒険の着地点にしようと思ったんです。
冒険のフレーズは「サンライズ・サンセット」これは地球の運行であり、動かしがたい生命・宇宙の原理原則。
これを多くの人に体感してもらいたいと思ったわけです。
もはや速く走るためでもなく、「いくつもの橋を渡った」、「どこそこの美味しいものをどれだけ食べた」、というように、各々が旅をクリエイトする。
そうしてツーリングを楽しむことで、価値ある二輪文化を創造したいと考え、行政の皆さんと手を結ぶことができ、ようやくSSTRを始めることができたんです。
しかし、SSTRを始めたばかりの頃、地元自治会の方々のテントのところに行って初めてご挨拶をした時、「あんたが風間さんか」と怪訝そうに言われてしまい、そこで思わずハッとしました。
『これではいけない、まずは自分の人柄を、地元の住民の方々に理解してもらわないことには、文化も何もあったものではない。』と。
これから大きなことをやろうとするときは、自分の人となりをよく理解してもらって、信じてもらって、地域の人と合作として創り上げていかなければいけない。
そういう考えでで始まったのがSSTRです。
初回127名から始まって、500、1,000…と増えていくわけですが、どの回においても、車の両輪、つまり右が僕等なら、左が地域の受け入れ体制で、それが整わないことにはこれは叶わないこと。地域のご理解とご協力が無ければ、今日のSSTRは全くあり得なかったわけですから、皆さんには本当に感謝しています。
どうもありがとうございます。
ここで、最初の議題は終わり、次の議題に移ります。
引き続き、次のページ(中編)をご覧ください。