PREMIUM SSTR シンポジウム(中編)SSTR第1回~第10回 これまでに見るその魅力・苦労・課題・期待など

SSTRのこれまで、そして明日から

(池田 幸應 教授)

10年前に千里浜住民の皆さんがおもてなしを始めるきっかけとなった(羽咋市職員の)川口さんは、今日はどうしてもお越しになれないということでしたが、川口さんにSSTRを始めて受け止める行政としてはどんな気持ちがあったのか尋ねたことがあります。

というのも、風間さんは10年前、「1万人!」と言ったんです。(羽咋市への説明でSSTRで招致を目指す人数について)

「地域はこれを聞いてどうだったの?」と伺ったところ、川口さんは当時課長としての立場で率直に『何言ってんの?』と思ったのだそうです。

ただそれを、地域の皆さんと一緒になって様々な葛藤を乗り越え、今では地域の楽しみ、そして希望になっている。

これまで川口さんと一緒に地域で活動をなさった原田さん。当時は正直、どんなお気持ちだったのですか?


(原田 栄さん)

はい、当時うちの前をよくバリバリビビリィ!っとヤンチャ臭いバイクが通っていくので、「バイクが来る」と言われても、はっきり言って歓迎はしたくなかったです。

でも、SSTRの人たちはみんなお行儀が良いというか、マナーが良い人たちなので、だんだんと、バイクが好きになってきました。

またSSTRのおかげでしょうか、このごろはバリバリビビリィ!っというバイクも、あまり通りません。

だから(今は)OKですね。

 


(池田教授)

5月のSSTRでは、ゴール翌日に穴水町で「SSTRセカンドステージ」を開催しました。

5月の穴水セカンドステージでの1コマ

そこに石川県警の方をお招きして白バイ隊員の方にもお話を伺ったのですが、彼らはSSTRのことをよく知っていて、「たまに速い人がいるけれど、SSTRの人たちは非常にマナーが良い」と言われたんです。

やはりこれは、風間さんが当初から言っていたSSTRを通したグッドライダー・グッドマナーの醸成。

これが多くの参加者に伝わっているのだなと思ったところですし、地域の住民・そして行政の受け入れ態勢を潤滑しているところなのではないかと思います。

そこで岸市長、行政のなかでもこれまでいろんなお話が出たのではないかと思いますが、当初から今にかけてどんな変化があったのでしょうか?

また今後SSTRに対してどんな期待をお持ちですか?

 


(岸 博一 市長)

はい、行政としてのSSTRとのかかわりは平成25年、第1回目の開催に当たっては、やはり「めぐりあわせ」というのがあったのだと思います。

その時の商工観光課長が、先ほどもお話に出ています川口課長で、彼が地元の千里浜住民だったことが非常に大きかったのだと思います。

なので、行政として『SSTRを後押ししよう』ということではなくて、個人としてまた千里浜住民として、SSTRの後押しをしたいという気持ち。

そこから原田さんの婦人会、そして冨山さん、佐々木さんたちの町会を説得して第1回が開催できたのだと思います。

しかし、回を重ねるごとに参加者が増えSSTRの規模も大きくなるにつれ、町会だけでは支えられなくなってきて、これを支える大きなボランティアの立ち上げが必要になってきたのだと思っています。

出だしのころは『SSTRってどんなものだろう?』と思っていたのですが、SSTRというのはやはり風間さんの熱意です。

地元に溶け込まなくてはならないということで、毎年風間さんはお正月の(町内の)お宮参りに町会の役員さんと一緒になってお参りをしていらっしゃいますし、行政にも何度となく足を運んできてくれています。

そういったことがあって初めて、地域・行政、そして風間さんのグループとの信頼関係が構築された。

これなくして、これまでのSSTRは成り立たなかったと思いますし、「地元の信頼」はSSTRにとって大きな財産になったのだと思います。

ある民宿では、毎年馴染みのライダーが泊まりに来てくれる。

その中で、北海道から九州まで様々な地域の人々が出逢ってふれあい、バイクの話、地元の話などで、ライダーと市民が交流しながら本当に地元に溶け込んだものになっている。

これはもはや単なるイベントではなく、人と人とのつながりになっている。

それがこのSSTRの特色なのだと思います。

一方で、羽咋市での宿泊施設のキャパは、1,000人。

これは部屋数が700人・キャンプ場300人なので、羽咋市だけではとても今の人数を受け入れられません。

ですので、羽咋市にとってはもったいないのですが、七尾や輪島そして和倉温泉等、能登全体への宿泊がもたらす経済波及効果は非常に大きいものだと思っています。

また、石川県・能登の街々に遊びに来ていただいて、ご地元にお帰りになった際に、訪ねた街の良さを口コミで広めていただければ、大きなPR効果が生まれます。

羽咋市そして能登全体では、10数時間をかけて遠くの街からやってきてくださるライダーの皆さんに「来てよかった」と思っていただけるようなおもてなしを続けていき、もっともっと多くの方々と交流を深めていきたいと考えていますので、今後ともよろしくお願いいたします。


(池田教授)

岸市長、ありがとうございます。

石川県には19の自治体がありますが、昨年SSTRカフェに各自治体のご担当者様に集まっていただき、ミーティングをしました。

普段こうしたスタイルのミーティングというのはなかなかないことなのですが、羽咋市さんが中心となって実現できたものです。

岸市長のお話にもありましたが、初めは羽咋市だけであったおもてなしも、今では能登全域になっています。

こうして、「人と人」から始まって、自治体と自治体同士が結びつきを持ち、そこに県がバックアップするという形になって、前回5月には、馳知事が石川県知事として初めてSSTRの千里浜ステージにお立ちになった。

そしてSSTRが今回、(スポーツ振興賞の観光庁長官賞を)受賞したことで国が動き、やがて世界にも輪が広がっていく、しかもそれが作為的なものではなく、みんなの思いが広がっていく。

とにかく参加するみんなが純粋にSSTRを楽しんでいるからこそ、ここまで続いているのだと思いますが、寺田さん、大倉さん、遠方から訪れるSSTRライダーとして、石川県、そして能登をどのようにご覧になっていますでしょうか?


(寺田 陽子さん)

はい、もう6回目のエントリーですが、初めはバイクにゼッケンをつけるだけで、道の駅やパーキング、どこへ行っても(ほかのライダーに)話しかけたり話しかけられたり。

そういうつながりで、ライダー同士のつながりが楽しいイベントだなぁと思っていたのだけれど、それにプラスして2回目3回目と参加するうちに、地元の方々とのつながりができてきて、今では実家というか、「お里」に帰ってきたという気持ちが強くなり、本当に故郷に帰ってきたような気がします。

馴染みの宿ができて、そこに馴染みの顔が集まって、「おかえりぃー」という声がかかると、本当にまた『来年もまた帰って来よう』、そう思うんです。

私はSSTRじゃなくても来ちゃうんですが、もう気持ちが疲れた時に思い出すふるさとになっていて、そういう時いつも「帰りたいなぁ」と思う暖かい場所になっています。

 


(大倉正之助さん)

オートバイというのは雨や風、身を晒して自然の摂理を「受け入れるもの」です。

つまり、旅の原点である歩く姿に近いものがあると考えています。

その姿に、文明の力であるオートバイとが融合して利便性を高め、時間軸として現代の忙しさの中でも、旅の本質を味わえる道具としてオートバイというのは凄く有効なものだと思って、私はこれを絶えず旅に活用しています。

ただそれは単なる乗り物、道具ということを超えていて、そこに人情があり人との出会いがあり、石川能登という日本の奥深い文化の宝庫、地域の特色、そういうものに、多くの人びとが、もっともっと多く出逢っていける未来があるのではないかと思って、SSTRにすごく期待をしています。

オートバイで旅をすることを通して、私の人生はどれほど豊かになったことでしょうか。

そういう思いを、もっとたくさんの人がしてくれるのではないかと期待しているわけです。

夢というのは個々人の中にあるものですが、今後もSSTRが10年20年と続いていく中で、それが単なる個人の「夢」ではなく「志」となることが大切です。

つまり、おもてなしの心を受け継ぎ、オートバイの文化を引き継いでゆくという「志」が、世代世代のライダーに受け継がれていけば、(SSTRが築いた文化は)未来へ繋がって地元に根付いた文化として受け継がれていくのだと思います。


(池田教授)ここで岸市長が次のご公務でご退席になるということで、皆さんに一言、キーワードをいただけないでしょうか。

(岸 博一 市長)「キーワードは人との絆」

はい、やはりキーワードになるのは、皆さんとのつながり、「絆」だと思います。

SSTRそしてバイクは手段だと思います。

最終的にはライダーの皆さん、そして地元、そして風間さんとのつながり、これを大切にして、今後もSSTRの発展に協力していきたいと思いますので、是非来年も含めて、よろしくお願いしたいと思います。

 

今日は本当にありがとうございました。

 

 


(池田教授)

いま、人との絆というお話がありました。

文化って何だろうと考えた時、それは人と人とが日常の中で幸せを感じ、笑顔をつながり合いながら生み出していくものだと思っています。

スポーツの話も出ましたが、スポーツも同じなんです。

この会場にはにっぽん応援ツーリングで、小松の被災地の復興支援に入られたライダーの方々もいるのですが、単にバイクに乗るだけでなく、いろいろな思いをかたちにしながら地域に入られているライダーがSSTRライダーの中には多いのだなと思います。

しかしながら、未だバイクやライダーにはマイナスのイメージが付きまとうわけですが、そうしたものを皆さん自身の力で変えていく、それもまたSSTRの意義なのではないかと思います。

文化とスポーツということで、競技として楽しむモータースポーツの素晴らしさもありますが、一般の幅広い方々がいろいろな形で人生を楽しむ旅、それがSSTRの文化そのものだと思うのですが、文化スポーツコミッションとして平さん、これについてコメントいただけますでしょうか。


(平 八郎さん)

よく文化だとかスポーツだとかという区分けをつくるわけですが、文化って何かというと、それは「人の営み」なんですよ。

人と人とがつながっていく中で文化が生まれていく、その中に身体を動かすスポーツと呼ばれるものもありますし、例えば金沢ですとたくさん芸子さんがいて、彼女たちはみんなアスリートですよ。

日本舞踊の中には普通の人がまねのできないような凄い動きもあって、彼女たちの筋肉なんてすごいものです。

そういった点では文化だとかスポーツだとかって、分けなくていいんですよ。

今日駐車場には、釧路ナンバーのバイクが2台ほど止まっているのを見ましたが、これを見ると私は釧路にいる友人のことを思い出すんですね。

つまり、その土地にいる人と関わることで、そこはその人にとってもはや単なる観光地ではなく、「関係地」にどんどんなっていくんです。

観光地というのは実はその時だけの一過性のものでしかないんです。

ですが「関係地」になると、 その地域にいらっしゃる人たちと何らかの繋がりが生まれて、自分の第二の故郷になったりもするんです。

そういった点で私たちは、スポーツという大会やイベントを通じで、当地の方たちとの触れ合いを大切にしているのですが、SSTRもまさに10年前からそういったことやってこられたのだということわかり、これからもそれを続けていってほしいと思いました。


(池田教授)

ありがとうございます。

いま、「関係」という言葉がありましたが、総務省ではまさに「関係人口の創出」という言葉が今、非常に大きなキーワードになっているんです。

それは県と県をまたいだ人の流れもそうですし、外国との行き来もそうです。

その中で、地域の自然や歴史や文化の素晴らしさ広めていくには、「関係のできる土壌」というものが無ければ、関係人口を創出することは難しいんですね。

そういったところで、加賀屋さんはこれまで116年、おもてなしを続けてこられて、今後もさらに参加者が増えると思います。

またSSTRでライダーのお客様が増えたということはあると思いますが、個人でお見えになるライダーのお客様も増えているのでしょうか。

 


(長谷川 明子さん)

SSTRはこの10年で(参加動員数が)100倍になったわけですが、これはやはり風間様のお人柄だと思います。

昨夜のように、4時間のパーティーというのは日本では珍しく、どのように時間を過ごされるのかと思っていましたが、昨夜のパーティーでは、ライダーの皆さんがどんなに遅く到着されても、お食事ができるような仕組みでお迎えになっていたり、またサンセットセレモニーに始まって和倉温泉出湯太鼓と石川県無形文化財の御陣乗太鼓、能登の中でも地域によって違う太鼓で文化をお楽しみいただくことなど、長い時間にもかかわらず、どなたも途中でご退席になることなく最後までおいでになりました。

表彰式での風間さんの暖かいお声掛けや、皆さんの温かい拍手に包まれて、会場が一つの輪になって素晴らしい雰囲気の4時間、私も癒されました。

会場においでになる方が、お好きな時間にお好きなようにお過ごしになれるよう配慮されていたことに、風間様のホスピタリティーを感じ、その感動が私には素晴らしいプレゼントとなりました。

ありがとうござしました。


ここで、この議題は終わり、次の議題に移ります。

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