230 石川典史さん

「父ちゃん、私、もう一回頑張る。頑張ってリハビリする。リハビリして千里浜に行く。 千里浜に行って皆さんに“ありがとう”って言う!」

母ちゃんが泣きながら、か細い声で震えながら言葉を絞り出して言ってくれたのは、 第10回SSTRの初日、5月21日のリモート面会室でのことでした。

その後は私も母ちゃんも、そして立会いの看護師さんも号泣で、あっという間の10分間でした。

以前からSSTRのFacebookには投稿していて、母ちゃんの様子や近況報告をしていたのですが、 そんな時「なぜ、プレミアムSSTRにこだわるの?」「許可を出す医師の責任は?」 「責任を求めないなら…」と、辛辣な意見が寄せられました。

ああ、こういう意見もあるんだ…と、私も「そうだよな、ここまでお世話になってるんだから、 ちゃんと説明したほうがいいよな」と反省し、プレミアムSSTRににこだわる理由と、 母ちゃんの病気を告白しようと思いました。

なぜ、私たちがプレミアムSSTRにこだわるのか… 母ちゃんの病気は脳が委縮し記憶がなくなる病です。

この診断が下され病気が確定したのが3年前でした。

当時は「なんで母ちゃんが…」との思いで、いっぱい泣きました、いっぱい苦しみました、 いっぱい悩みました……

大好きな母ちゃんといっぱい美味しいものを食べに行きたかった…

いっぱい旅行に行きたかった…

いっぱい笑いたかった…

母ちゃんといっぱい、いっぱい…

でも一番苦しく辛いのは母ちゃんです。

私たちが泣いて後ろ向きになっていては母ちゃんの病気も治りません。

だから私たち家族は 「これからは母ちゃんとの思い出をいっぱい、いっぱい作ろう」という結論を出しました。

よいと思われることは何でもしました。

食事改善、運動、散歩、脳トレ… しかし、どれも効果はあまりありませんでした。

でも、担当医から「この病には“体感すること“”身体で感じること“がいいです。

ドライブよりもツーリングがいいですよ」とアドバイスを受けたツーリングにだけは確かな手ごたえがありました。

事実、ツーリングに行った夜はとても楽しそうで、後日、写真を見せると 「ここ行ったなぁ、父ちゃんとバイクで行ったなぁ」と笑顔で話しました。

そんな時に出会ったのがこの「SSTR」でした。

HPに「そこで、それぞれの残した偉大なる冒険のドラマ…」という風間さんの言葉に感銘を受け、 私は「母ちゃんの病気を治す!」と、強い決意を持ち、母ちゃんにこの「SSTRへの参加」 を話したところ、「私、段々わからんようになってるから、意識のあるうちに父ちゃんと行って みたい、タンデムで行ってみたい」と、自分の病を理解しているかのように笑顔で言ってくれました。

5月27日のフリーでエントリーしました。

ゼッケンが来た!

コースも決まった!

アフターSSTRも、 宿泊場所も決まった5月2日、母ちゃんが入院となりました。

担当医、医学療法士、看護師の方と、母ちゃんの症状等のカンファレンスを受けた結果、 SSTRは断念せざるを得ない結論に達しました。

もちろん、ソロで参加、母ちゃんの病気回復祈願として参加することも考えましたが、 母ちゃんと話して母ちゃんと一緒に行こうと決めたSSTR… 病気と闘っている母ちゃんの傍に居たかったので断念しました。

このSSTRは参加者枠に対して多数の応募があり、 病気とは言え貴重なタンデム枠を一つ潰してしまった自責の念から、 SSTRのFacebookに投稿したところ、それまで見たことがないような多数の「いいね!」と 「激励のお言葉」を頂きました。

これもまた偶然ですが、SSTR初日の5月21日にリモート面会ができました。

母ちゃんは「父ちゃんの楽しみ奪ってゴメン、私もう、いいわ…」と言ったとき、 「母ちゃん、これ見て、これ読んで」と、皆様からの「激励と励ましの言葉」を見せました。

母ちゃんは黙って読んでいました。 そして読み終わった後に泣きながら最初の文面の言葉を言ってくれたのです。

SSTR参加者皆様からの「激励と励ましの言葉」が、折れかかっていた私の心と、 砕け散っていた母ちゃんの心を蘇らせ、立ち直してくれたのです。

それからは、母ちゃんは必死に病気と闘い、その都度母ちゃんの経過等をFacebookで 告知させていただきました。

その結果、予定より半月も早く退院できたのですが、筋力がかなり落ちていたため、 リハビリ施設への入所を進められ、私たちも同意しました。

並行して担当医と医学療法士に10月に開催されるプレミアムSSTRへの参加を打診したところ、 「まだ2か月あります、諦めずに頑張りましょう」と言ってもらいました。

また、母ちゃんとのSSTR参加の経緯を息子、娘に話したら「分かった、家族の思い出作ろう。 そしたら俺たちサポートカーとして参戦するわ、宿泊代等は父ちゃん持ちで…」と快く了承してくれ、 私と母ちゃんの夢だったSSTRへの参加が、この瞬間、家族の一大プロジェクト…つまり、 冒険への扉を開くこととなり、まさに風間さんが仰った、私たち家族の「それぞれのドラマ…」 が始まりました。

でも、母ちゃんの病状は悪くなる一方で、リハビリも思うように進まず、 果たしてSSTRに参加できるのか…参加できても完走することができるのか… また皆さんに迷惑を掛けるのではないか…と脳裏を過りました。

しかし、私たちが諦めたら家族の夢を乗せた「冒険」の扉は開きません。 SSTRの皆さんから沢山の激励と励ましのお言葉をいただいたことも、 私たち家族の足を前に進める大きな力になりました。

一度は担当医に断られたSSTRでしたが、「車椅子と介護食の持参、サポートカーでの移動、 千里浜のみのタンデム、体調を考えリタイヤも視野に入れ、そして10月3に私の診断を受けること」 を条件に笑顔で「いってらっしゃい」と送り出していただきました。

退所日も9月28日に決まりました。父ちゃんと母ちゃんの夢が叶う、家族の夢が、 冒険への扉が今開くと思うと、自然と涙が溢れ出て止まりませんでした。 母ちゃんは自力では立てず、車椅子での移動が必要となること、 障害者手帳の交付が11月になること、息子、娘のサポートが必須であることを大会本部に 伝えたところ快く了承していただき、障害者手帳の代わりに要介護認定証を送付しました。

母ちゃんの記憶があるうちに、二人で決めたSSTRへ参加して、 今後母ちゃんの記憶がなくなったとしても、千里浜の夕日とタンデムで走ったこと、 そしてSSTRの皆さんのことは、母ちゃんの記憶の中に、必ず刻み込まれると信じています。

そして父ちゃんと母ちゃんの思いに応じてくれた息子と娘、 私たちに寄り添い色々とアドバイスを頂いた担当医等の方々には、 感謝こそすれ責任を押し付けることがあろうものですか!!

息子、娘には「母ちゃんの体調を一番に考え、調子が悪くなったら父ちゃんに電話をして、 何をおいても車を止めること」を言い聞かせ、これですべての準備が終わり、母ちゃんに 「千里浜に行くよ」と言ったら「うん」と笑顔で頷き、家族で大泣きしながら大笑いしました。

しかし…冒険とは、筋書きのないドラマであることを思い知らされました。

出発当日、午前5時発にも関わらず、母ちゃんの準備等で午前6時発となりました。

スタート場所は三重県四日市の霞ヶ浦緑地公園を設定していたのですが、サポートカーが迷子になり、 スタートが午前7時と約1時間30分の遅れとなりました。

第一立ち寄り場所の「道の駅、月見の里」では母ちゃんのトイレと朝食で大幅な時間ロス… 第二立ち寄り場所の「道の駅、伊吹の里」へも迷子となり、到着が既に午前10時前…心が折れました。

しかしSSTRならではでしょうか!SSTRの関係者と思われる方が「あっ、母ちゃんの車や!」 と声を掛けて下さり、私はバイクを駐車するので必死、サポートカーは身障者用駐車スペースを探す のに必死でバタバタとする中、「サポートカーのロゴ、ホンマにセンスないなぁ」 「娘さん、よく書き足したな」「母ちゃん!頑張れよ❣」と、わざわざ母ちゃんと私たちに 声を掛けていただきました。

この出来事で、私たちもリフレッシュすることができ、次の目的地の「道の駅、浅井三姉妹の郷」 では、息子は「アユのフライ」を、娘は「ポテト」を買い食いするまでに復活しました。

母ちゃんは私たちの心配をよそに、車の中で「爆睡」してて、その姿を見た私たちは大笑いしました。

この後も、道は間違うわ、サポートカーは勝手に迷子になるわ、インカムは壊れるわ、 立ち寄りポイントは飛ばすわで散々な出来事があり私の心が折れかけましたが、道中、 「ヤエー」してくれたライダー、私たちを見つけて指を差し「ガッツポーズ」をくれたライダー のおかげで、何とか石川県まで来ることが出来ました。

でも…その時は静かに訪れました…母ちゃんの限界が来たようなのです。  先を行くサポートカーから合図がありました。

ここまでか…色々な思いが頭を過りましたが、母ちゃんの体調が一番です。

サポートカーで母ちゃんの様子を傍で見ている息子と娘からの合図に私も逆らえません… ですから私も決断して現在地から一番近くの尼御前サービスエリアでピットインしました。

取り敢えず母ちゃんの様子を確認してからシステムの「リタイア」を押そうと思い、 母ちゃんのサポートカーへ駆け寄りました。

そこで見た母ちゃんの様子は、苦しそうで、顔をしかめ、悶絶しているようにも見えましたが、 顔色は悪くなく、むしろ何かを伝えたそうでした。  「うん?」と思っていたら娘が「お父さん、お母さんトイレみたい!急いで!」と言って、 息子は車椅子を降ろして持って来ていたので母ちゃんを「お姫様抱っこ」してトイレへ連れて行き、 事なきを得ました。  母ちゃんの用便を済まし、サポートカーに乗せた後、私は安堵で膝から崩れ落ち、 その場に座り込みました。

息子たちは「インカムが繋がらないから合図を送ったんや」と…また、 「親父、もうアカンと思ってるやろうな」「しゃーない、インカム繋がらへんからや」と、 車内での会話を教えてくれ、「母ちゃん笑ってたで」と聞き、安心しました。

ここでも多数のライダーから「先に行ってるで」「千里浜で待ってるよ」 「ファイト、頑張れ、もう少し」と声を掛けていただきました。

インカムの調整を終え、息子、娘に「ここからは後1時間ぐらい、ゆっくり、安全に行こう」 と声を掛け、出発しました。

のと里山街道に入りインカムを繋げ、母ちゃんの様子を聞いたら「大丈夫、お母さん起きてるで、 でもバイクに乗れるかどうかわからんけど」との返事でしたが、「ここまで来た、ここまで来れた」 と思うと自然に涙が出てきました。

のと里山海道から、千里浜なぎさドライブウェイまでもう少しの時のことでした。

母ちゃんがぐずり始めた連絡がきたのです。

母ちゃんの病気の特徴として「新しいことや新しいものに、脳が対応出来ないこと」 があります。それが、まさに今、起きてしまい、パニック状態に陥ったのです。  後続車もいたので途中で駐車することもできず、そのまま進行せざるを得ませんでした。

すると左側に公衆トイレがある駐車スペースを見つけ、インカムで 「左側に駐車スペースがあるから、そこに入ろう」とサポートカーに伝えましたが、多くのSSTR 参加者ライダーでごった返していました。

障害者専用駐車枠はあるけど、サポートカーがスイッチターンできない…どうしよう… 母ちゃん、息子、娘ゴメン、ここでリタイヤしようと伝えたその時、どこからか 「母ちゃんのサポートカーや!みんな、バイク動かして!車止めさせて!」と声が聞こえたのです。

するとあれだけ大勢のライダーで混んでいた駐車場が私のバイクの駐車スペースとサポートカーが スイッチターンできるだけのスペースが空いたのです。  まるでそれは千里浜の波のようで、「スー」と引いていき、行き交うライダーが私たちに向かって 「グッジョブ」の合図をして千里浜へと向かっていきました。

この場所はSSTR参加ライダーの待ち合わせ場所であったことを後で知って、 大変申し訳ありませんでした。

娘、息子が母ちゃんに声掛けをずっとしていたらしく、母ちゃんはかなり落ち着いていました。

息子と娘は「無理じゃないか」と言ったので、私は二人の意見に従うことを決め、 システムを立ち上げ「リタイヤ」の送信ボタンを押そうとしたとき、 「石川さん、もうちょっと、もうちょっと、ここまで来れた、もうちょっと頑張れ!」 と声を掛けていただき、思わず、声を掛けたくれたライダーに握手を求め大泣きしてしましました。

しかし、この一言で私たち家族の心が蘇り「親父、俺が母ちゃん支えるから、タンデムして」 と言って私はバイクに跨り、母ちゃんはタンデムシートに座ることが出来ました。

娘が母ちゃんにおんぶ紐を掛け、ヘルメットを被せてくれ準備ができ、僕が 「母ちゃん、大丈夫!行くで!」と声を掛けたら「うん!」と答えてくれ 千里浜なぎさドライブウェイを走りました。

まさに父ちゃんと母ちゃんの夢が…家族のドラマが…そして家族の冒険が達成された瞬間でした。

でも母ちゃんは、ヘルメットの重さに耐えきれず前屈みになり、 このまま走れば後続車両に轢かれてしまう…このまま走れば後続のライダーに迷惑を掛け事故を 誘発してしまう、これ以上走れない…と断腸の思いで断念し、母ちゃんをサポートカーに乗せましたが、 この時も、写真撮影等をしていたライダーが駆け寄り、助けて頂いたことを本当に感謝しています。

千里浜なぎさドライブウェイをタンデムで走れたのは、たった5メートル、 たった5メートルだけでしたが、私たち家族にとっては、されど5メートル、誰よりも長い、 長い5メートルでした。

母ちゃんをサポートカーに乗せ、サポートカーの後ろを泣きながら千里浜なぎさドライブウェイを走りました。

色々な思いが込み上げてきました。 母ちゃんと初めて出会った時のこと、母ちゃんにプロポーズした時のこと、 初めて喧嘩した時のこと、息子と娘が生まれた時のこと、僕が仕事で入院した時のこと、 テレビにも出させてもらった時のこと…いっぱい、いっぱい思い出が蘇ってきて、 「俺、母ちゃんと一緒になれたから、母ちゃんが陰で支えてくれてたから、 いっぱい思い出作れたんやな、俺、幸せやな、このSSTRに家族で参加できてよかったな、 今度は俺が母ちゃんの傍で母ちゃんを支えよう」と決心したら、 涙が次から次へと溢れ出てきて、前が見えなくなるぐらい大泣きしました。

残念ながら、サポートカーは途中で離脱を余儀なくされ、 母ちゃんと一緒にゴールゲートは潜れませんでしたが、 「ゴォ~~~ル」とチェッカーフラッグ振って頂いたときは号泣で、転倒しかけました。

また、サポートカーが走っているとき「あっ、あの車だ!お帰り~」 と大声で叫んで、うちわを振ってくれた「千里浜うちわ隊」の方々、 本当にありがとうございました。

後日談になりますが、息子、娘が「母ちゃん、ずっと千里浜の夕日を見てたで」と言っていました。

ゴール受付で参加賞を受け取るとき「ズルしてます。タンデムで走ったのは千里浜の5メートルだけです。」 と申告しようとしたら、スタッフと大会関係者の方が駆け寄ってきて 「石川さん、おめでとうございます。完走です。よく頑張りましたね。あと、ご家族も一緒に完走です。 パーティー会場で会いましょう」と声を掛けてくださり、年甲斐もなく誰の目も憚らず抱きついて号泣してしましました。 パーティー会場では、数多くの方に声を掛けて頂いたにもかかわらず、 お一人、お一人に満足なお礼もできず大変申し訳ありませんでした。

また母ちゃんに声を掛けて頂いたにもかかわらず、大変申し訳ありませんでした… 音と、光と、人の多さが処理できず、あのような態度になってしまったことをお許しください。

パーティー会場で会いましょうと言っておきながら、挨拶ができなかった皆様、 本当に申し訳ありませんでした。

母ちゃんのキャパが、かなりオーバーしていましたので先に帰らせていただいた無礼をお許しください。

帰ろうとしたとき、「石川さんですか!」「今回のプレミアムは、SSTR全員、 石川ファミリーと母ちゃんを応援していましたよ」と声を掛けていただき、 ここでも抱きつき号泣してしまいました。

ダメだ…今この時も涙があふれて止まりません。

パーティー会場から帰るとき、母ちゃんに「今日はよく頑張ったね」と言ったら「うん」 と笑顔で答えてくれました。

そして「千里浜」「夕日」「SSTR」のワードに 笑顔で反応してくれました。

これから母ちゃんの記憶はどんどんなくなり、僕たちのことも忘れてしまうでしょう…。

でも、家族でサポートして、父ちゃんと母ちゃんの約束を果たしたこのSSTRは、 きっと母ちゃんの【記憶の引き出し】に刻み込まれたと思います。

風間さんの「それぞれのドラマ…」という言葉に感銘を受け、僕と母ちゃんの「それぞれのドラマ」 を計画し、後押ししてくれた息子と娘に感謝します。

また、私たち家族の「ドラマ」と「夢」を壮大な力で後押ししていただいた風間さんをはじめ、 大会本部の皆様、大会関係者の皆様、大会スタッフの皆様、大会ボランティアの皆様、 旅行会社の皆様、加賀屋の皆様、そして何といっても、私たち家族に愛と夢と勇気と感動と希望と 未来を与えて頂いたSSTRの皆様、本当に、本当に、本当にありがとうございました。

そして最後に…母ちゃんに小さな小さな奇跡が起きました。

それは、母ちゃんがこのSSTRを覚えていると言うことです。

母ちゃんが施設に入居するとき、パーティー会場で頂いた「千里浜うちわ隊」のステッカーを、 母ちゃんのコップに貼って施設へ入居したのですが、このコップを片時も離さず、 洗うのも一苦労だそうで、母ちゃんが眠ってから洗っているそうです。

新しいことを記憶できない病気なのに、母ちゃんの記憶の引き出しの中に 「千里浜」「夕日」「SSTR」は、確実に刻み込まれたのです。

SSTRは、何かが起こります。私たち家族のように…  SSTRの未来に栄光あれ!!

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