「MOTOあらうんどNOTO」、2回目22日(月)の会場は、珠洲市にある「道の駅すず塩田村」。
「風間深志トークショー&地元民ライダーとの交流会」という形で行われた今回は、風間深志がSSTRの起源とする「冒険」「バイク」への想いを語り、地元のモーターサイクルクラブの方々との交流を楽しみました。
今回の進行は、「道の駅すず塩田村」の神谷 健司(かみたに けんじ) 駅長です。
「バイクで冒険」その理由とは?
神谷駅長: 今日はお集まりいただきましてありがとうございます。今回は冒険家の風間深志さんをお迎えして、地元民ライダーとも交流していただき、をアピールしていきたいと思います。
では風間さんどうぞよろしくお願いいたします。
風 間 : ジャン、風間深志です。(笑)
ご紹介ありがとうございます。まずは5月5日の大きな地震で被害を受けられました方々にお見舞い申し上げます。
私たちも、SSTRに並行して「にっぽん応援ツーリング」というのをやっていて、「災害支援をはじめ、様々な形の支援の在り方をいかに2輪を使って行うか?」という活動をしています。
ボランティア活動などの支援は地元のニーズを確かめながら慎重に進めていく必要がありますので、現在は募金箱を設置して募金活動を行っていることころですが、今日はこうして、
SSTRを走り終えた皆さんをこの場所に導き、珠洲の魅力を伝えていくことも観光支援の一つと考えてやってきました。
神谷駅長: ありがとうございます。
実は私も風間さんが日本人で初めて(二輪部門)パリ・ダカールラリー(1982年)に出場されたことに触発されて、バイクに乗り始めた一人です。
パリダカの後、風間さんは北極・南極の両極に行かれるわけですが、これは「バイク乗りの血」よりも「冒険家の血が騒ぐ」ということで行かれたのですか?
風 間 : いいえ、冒険よりバイクなんです。
当時、自分はバイクが大好きなんだけれど、『バイクの何に魅了されているのか?』ということを分析したんですね。
その結果、「バイクの魅力=自然」ということに落ち着きました。
沼や山、森や林、海も含め、自然そのものの様相に魅力を感じていて、そういった自然の魅力に「バイクで会いに行きたい」という考えですね。
世界には見たことが無い自然があって、ハンドルを向けてそれに挑んで征く。もちろんそれは過酷極まりないものですが、それでもバイクというものが好きなんです。
また、僕は地平線というものにすごく憧れを持っています。パリダカを目指したのも、砂漠を走ればその魅力をたっぷりと身を染めることができると思ったからで、実はラリーに出たいという気持ちでは全くなかったんです。
水もなければ何もないサハラに行くために、ラリーの補給体制を利用しようと思ったんですね。
しかし、地平線は酔いしれるものではなく、日々一日を生きていくのが必至、『早く地平線を脱しなければ』とさえ思っていたほど恐ろしいものでした。
そんな時に、「地平線が一点に集約されていくところに、バイクを突き詰めた終着点があるのではないか?」そうして南極や北極を目指したわけで、結果それが「冒険」ということになるわけです。しかし僕としてそれは「バイク道」を目指して行ったことなんです。
当時、僕の友人がバイクの世界選手権でチャンピオンになったときに、新聞に記事として掲載されたのだけれども、それがたったの10行くらいでしかなかったんです。
この扱いに「世の中はこれだけしか評価しないのか」と、僕はものすごく憤りを感じました。
しかし、僕がバイクでキリマンジャロに挑戦することを予告したら、同じ新聞になんと十数段にも及ぶ記事になって掲載されて、「なんだこれは?!」と驚いたわけです。
そこで『レースでバイクの魅力を訴求するには無理がある。』ということに気づき、むしろ「冒険」という行為を通じて2輪を表現し、毎年毎年何かしらの冒険を開催して、そこに乗せていくバイクを普及するのが手だなと思ったんです。
「冒険」が好きなわけじゃない、でも「冒険家」を名乗ることが、バイクの魅力の伝道師として最善のスタイルなのだと思って以来そう名乗ることに決めました。
「冒険家」と言えば、上村直巳さんやプロスキーヤーの三浦雄一郎さん、ヨットの堀江健一さんが活躍しているときで、当時は名刺に書いていたけれど恥ずかしかったですよ。
それでも、色々な葛藤を経て世間が注目してくれた。最初から有名になろうというのではなくて、バイクの魅力を広めたいという純粋な気持ちでやってきたました。
SSTR着想の原風景とは?
神谷駅長 : 風間さんがSSTRを始めたきっかけというのはどのようなものだったんですか?
風 間 : はい、僕がバイク雑誌を編集していたころは、とにかくバイクが売れました。でもどんどんバイクに乗る人がいなくなってしまった。
これは二輪業界が「うまい・速い」だけを魅力の具に据えていたためで、「普通にバイクに乗る人=ライダーじゃない」といった雰囲気が業界にもバイク市場にもあふれているからだと思ったんですね。
しかし、バイク本来の魅力は50㏄も大型も関係なく「自然と出会うこと」だと思うんです。
とにかくツーリングというのがそれを最も象徴することだと思ったので、『誰もが参加できる日本最大のツーリングイベントを創らなくては』と思うようになりました。
出場そのものが名誉になるようなもの、そして出場者が地球の原理原則に触れられるようなもの。
夕日にゴールするのは誰にも等しい絶対的な時間になるわけです。
その中でどういう走りをするか?「こう走ってください」と決めるのは面白くない。
日本各地どこからでも、例えば「グルメを辿る」、「城を辿る」、「いろんな林道を攻略する」。そんな風に旅をクリエイティブに愉しめるのがバイクなんです。
そうして、第1回のSSTRを開催する前に仲間と一緒に「試走」をしました。「スタートしたらバラけよう」といって走り続け、日本海が自分たちを迎えてくれた時は、涙を流すほど感動して、「この感動を多くの人たちに伝えよう」そう思ったんです。
SSTR今後の10年の指標とは?
風 間 : そうして127人で始まったSSTRも、千里浜の大きな砂浜と大きな日本海、そしてアフターSSTRで辿るのと全体の景勝地としての魅力、これら三位一体となって支えてもらったからこそ、今や約1万2千人が参加するまでになりました。
けれども、これは僕の力だと思ったことはありません。
いつも大事に思っているのは、『地域の皆さんがいかなる目線を持ってライダーの皆さんを迎えてくださるのか?』ということ。
喜んで迎えてくださることで、ライダーも「歓迎されている」という気分に支えられて旅が楽しくなるんです。
今年は11年目、能登が観光地として一つになり、ライダーとのコミュニケーションが石川県下全体、その波が北陸3県に波及していくようになることが今後10年のテーマですね。
地元「Ohtaniモーターサイクルクラブ」の方々との交流
神谷駅長: 風間さんは地理も含めて、本当によく能登をご存知ですね。やはり能登を愛してくださるからこそだと思います。ありがとうございます。
さてここで、地元のバイク俱楽部をご紹介させてください。
~Ohtaniモーターサイクルクラブのみなさんがご登壇。
風 間: 是非皆さんで、SSTRに出てください。今年羽咋市の職員の方5名がSSTRを走られたんです。そういう方が珠洲市からも出て下さるとうれしいですね。
バイクの免許は16歳から取れますが、これは仕事をもって自立するためで、免許を持っているということはひとつの誇りだったし、免許を持っている人というのは尊敬されていたものですよね。
そんな時代から走り続けている皆さんだからこそ、そして是非地域の発展のために自らハンドルを握って、「俺たちに続け!」と、珠洲市の観光に光を照らしてもらいたいと思います。
また、SSTR参加者の最高年齢は86歳の方です。実はこの方はおととし、息子さんお孫さんと3代でSSTRに出る計画を立てていたんですが、ゴールしたのはお2人。「父は亡くなりました」と伝えられたときは残念でたまらなかった。
けれど、そうやって世代を超えたり、カミさんに散々邪魔されたり。そうやって万障繰り上げて参加している様々な人のドラマがSSTRなんです。
家族と町とオートバイ
吉原さん: (話をちょっと遮るように)あのう、1つお聞きしたいのですが、奥様に旅に出ることをどうやって交渉していますか?
長い間外に出ると、いい顔されないんですよ。
風 間: アハハハハハ(笑)コレ面白い話だね。
以前、ゼッケンをつけないで夫婦で来た人がいて、「来年SSTRに出るので妻に見せに来ました」っていう人もいました。そういう人いっぱいいます。
まず、多くの人が経験する「モーターサイクルの壁」はカミさんですね。ハハハハハ(笑)
なにせ、お金を持ち出すでしょ、危ないことやってくるし、家を空けるんだし、カミさんにしたらろくなことないわけですよ。
長男が乗って、お父さんお母さんが乗って、全員が出てくるというパターンも多いですね。
ちなみに、これまで女性の出走率は10%だったのが近頃13%に増えました。つまり、1万人走れば1,300人は女性ライダーなんですよ。
これはやっぱりバイクが「旅」の手段だと理解されたことが大きいと思います。
峠道カッ飛んでどうのっていうんじゃ、やっぱり「危ないからやめなさいよ」になっちゃうんですよね。
そんな風に家族の中にもドラマを作っていく、色々な思いを引っ提げてみんなが走っているんです。
是非、オートバイに理解のある街をつくっていってくれたらと思います。
そのためにも、来年は是非Ohtaniモーターサイクルクラブの皆さんには起爆剤になってもらいたいですね。
このあとも、Ohtaniモーターサイクルクラブの皆さんとのお話は続きますが、ここからはダイジェストとして…
吉原さんから「旅の財政はどのように確保していますか?」という質問に、風間深志が「これまで、ありったけのお金を冒険につぎ込んできましたし、ケガをして治療に莫大なお金がかかったりもしました。でも冒険に出ると僕は夢を持って帰ってくるので、気持ちはいつも健全に保たれています。お金はないけどね…。」と答え、会場の空気が「なるほど」という雰囲気に。
また、客席には今回の地震で被災した地元ライダーの姿もあり、「SSTRに出走予定だったけれど、家が被災して参加できなくなったので、こちらでの開催を楽しみに来ました」という言葉に風間深志は、「彼のような方々が元気になるように、今後もできる限りのことをやって応援していきます。」とエールを送りました。
その言葉通り、風間深志が代表を務めるJRF(日本ライダーズフォーラム)はこの5月、日本赤十字社石川県支部との連携協力を発表し、公式なライダーによる災害支援活動に道筋を拓きました。
こうして、奥能登珠洲市の皆さんと交流を深めたイベントは、「来年はさらに大きなイベントにしよう」と約束し、終始笑顔のうちに幕となりました。
道の駅すず塩田村には、奥能登伝統の製塩法「揚浜の塩づくり」が体験でき、今回はSSTR参加者を対象とした「塩づくりミニ体験」(9:00~17:00)も行われました。 |
「風間深志トークショー&地元民ライダーとの交流会」MOTOあらうんどNOTO
◆日時:5/22(月)
◆会場:珠洲市/道の駅すず塩田村
◆内容:風間深志トークショー&地元民ライダーとの交流会(13:30~14:30)
その他の町の「MOTOあらうんどNOTO」
5月21日(日)志賀町・道の駅のと海街道 | 24日(水)穴水町・根木ポケットパーク内 サングリエ |